1973年、カーペンターズの名盤ナウアンドゼンは1曲を除き全曲のドラムをカレンが叩いた

1973年、カーペンターズの名盤ナウアンドゼンは1曲を除き全曲のドラムをカレンが叩いた

「彼女は時代を超越した声を出していました…カレンは自然でした。彼女は練習する必要はありませんでした…それがライブであろうとレコードであろうと、彼女は即座に完璧に歌いました。」

リチャードカーペンター

カーペンターズのボーカリスト、カレンカーペンターの歌声は、あのジョンレノンも絶賛したほどで、ポピュラー音楽史を通じて世界的に評価が高く、多くの人に魅力的なものであったことは、今さら言うまでもない。10代で歌のレッスンを受けようとしたところ「あなたには教えることが何もない」といわれて断られて誰かに習ったこともない、カレンの素晴らしい歌唱力は間違いなく天性のものだった。生まれ持った清涼感と透明感のある声質と、特に中低音をうまく使うことで漂う温和な雰囲気は彼女独特のものだ。

この稀有なボーカルの魅力を活かすために、珠玉のオリジナル曲だけでなく、バートバカラック、レオンラッセル、ロジャーニコルズなど錚々たる作曲家の作品に変幻自在のアレンジを加えたのが兄のリチャードカーペンターだ。リチャードの絶妙なアレンジセンスによって、兄妹の音楽的ルーツであるオールディーズの名曲も見違えるようにカーペンターズサウンドのポップスとしてリニューアルされた。

そのオールディーズのリニューアル作品の魅力が詰まったアルバムが、1973年にリリースされた「ナウアンドゼン Now & Then」。いかにも豊かな70年代のアメリカという感じのジャケットデザインは、アースウィンド&ファイアなどのジャケットデザインでも知られる日本人の長岡秀星 氏によるものだ。

このアルバム、ナウアンドゼンは、それ以前のカーペンターズのアルバムになかった、いくつかの特徴がある。ひとつめは、カーペンターズ自身がプロデュースしたということ。ふたつめがLPレコードのB面のほとんどを占めるオールディーズメドレー。3つめはリチャードの作曲した楽曲がひとつしかなく、他の作曲家の楽曲が多いこと。4つめはカレンが1曲を除いた全曲のドラムを担当していることだ。

このアルバム唯一のリチャード楽曲が、彼らのもっとも有名な曲「イエスタデイワンスモア」だ。この曲に関する逸話として残ってるのが、リチャードの意見によって前半部分を録音し直したということだが、これは当時のレコーディング技術ではあまりにも過酷な要求だった。なぜなら、後半部分と、録音し直した前半部分を完璧に同じテンポで演奏する必要があり、ドラマーは機械のように正確なリズムで演奏する必要があるからだ。しかし、ドラマーのカレンはこれを見事にやりきって、彼女自身が継ぎ目がどこにあるかわからなかったという。

アルバムの中で唯一カレンがドラムを演奏していないのは有名曲のひとつ「ジャンバラヤ」で、これは名スタジオドラマー、ハルブレインが演奏した。ハルは、ロネッツの「ビーマイベイビー」、ビーチボーイズの「グッドバイブレーション」、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋」など、全米1位約40曲、全米10位以内約150曲を含む、3万5千曲以上の録音に参加した希代のドラマーだ。つまり、ハルブレインという強力無比な選択肢があったにも関わらず、リチャードはカレンをメインドラマーとして選んだのだ。

その抜群のリズムの正確さに加え、正統派のジャズドラマー的なテクニックも評価が高く、ドラマー専門の雑誌「リズム&ドラムマガジン」で特集されたほどだ。

1968年、まだ「ディックカーペンタートリオ」と名乗っていたころの演奏の動画がYouTubeにある。まだカレンが18歳か19歳のころだが、後半の3分40秒のあたりでバディリッチ的な技巧派のジャズドラムのインプロビゼーションを披露している。

同様のジャズ的なドラムテクニックを惜しみなく披露しているのがファーストアルバムに収録されていた「ミスターグーダー」。ヒット曲ではないが、この曲はライブで盛り上がるタイプの曲で、かなり複雑な構成の曲を歌いながら実に楽しそうに演奏するカレンが印象的だ。

「ミスターグーダー」は1974年に日本武道館で行われたコンサートからの映像だが、カーペンターズは、この年に204回の公演を行っており、その過密なスケジュールの中で、あえて日本に来てくれたほど日本に好意的だった。代表曲の「トップオブザワールド」はアメリカでのシングル発売をする予定がなかったが、日本のキングレコードがリチャードと交渉して、先行してシングルを発売しヒットしたため、後追いでアメリカでも発売して見事にチャートの1位をとった。

そんなカーペンターズの親日ぶりがわかるのが、「ミスターグーダー」と同じ武道館のコンサートで披露された「ナウアンドゼン」からの代表曲「シング」だ。最初から最後まで日本語で歌われ、ひばり児童合唱団との微笑ましいコラボレーションとなった。

歌う前に丁寧にお辞儀をして、緊張するひばり児童合唱団を立てようとするカレンの姿が印象的だ。この誠実で、スターらしからぬ「腰の低い」カレンの人柄を、日本人は歌声から感じとって、初期のころから応援したのだ。

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