1984年、マドンナとシンディローパーによる、女性による女性の音楽が全米を動かした

1984年、マドンナとシンディローパーによる、女性による女性の音楽が全米を動かした

有名になったら、ある人のことをマスコミに聞かれた。
マドンナのことだ。
彼らマスコミはライバル争いみたいな話を作ろうとしていたみたいね。
レコード会社は 『ビルボード』 に、彼女マドンナが白いコルセットをつけている広告を出して、 そこには 「この娘がシンディローパーの対抗馬となるだろう」みたいなことが書いてあって、本当にイヤな気分になった。 他の誰も彼もがこの想像上のライバル争いに煽られていたけど、 私は 「こんなことやりたく ない、こんなものに関わりたくない」 と身を退いていた。

だってね、 私たちの音楽は似てすらいないのよ (まあ強いて言えば、 「ライクアバージン」で彼女の声がピッチを上げると私の声みたいに高く聞こえるけどね)。 彼女はビジネスやマーケティングに関して頭が切れて(私は全然ダメ) ずっときれいだったし、今でも相変わらず美しい。

私は別の道に進んじゃったって感じね。 ことに1985年の終わりに向かって、インディアンの戦闘化粧をしたり、 わざと反逆的で、ときにはアンチファッションな服を着たりしてたから。

シンディローパー

これは1984年に、社会現象となりつつあったマドンナとシンディローパーという女性スターが「ライバルだ」という演出を仕掛けたアメリカのマスコミに対する、シンディローパーからの痛烈な批判だ。
逆にいえば、当時は画期的だった、マドンナとシンディローパーという新しいタイプのポップスターが、アメリカにおいて、どれほど大きい影響力を持っていたかがよくわかる話でもある。

当時の1980年代前半は、アメリカのケーブルテレビ局「MTV」が恐るべき勢いで音楽ファンの心をとらえ、「プロモーションビデオ(PV)」を使った音楽プロモーションと、その時代を象徴する「MTV映えする」スーパースターとしてマイケルジャクソンやプリンスが世界の音楽シーンを席巻していた。

そして、この時代に「女性」のスーパースターとなったのは、いうまでもなくマドンナだ。
有名すぎる1984年の名曲、「ライクアヴァージン(Like A Virgin)」から女性のポップミュージックの頂点に昇りつめて以来、2022年の現在も、その位置は変わらない。

「全世界で最も売れた女性レコーディング・アーティスト」と言われ続け、2億枚以上のメディアを売り上げたマドンナが、1980年代に画期的だったのは、そのファンの多くが女性だったことだ。ブレークしたマドンナになりたい(Madonna wannabe または Madonnabe)という熱狂的な少女たちがアメリカに溢れかえった。

今でこそ「ジェンダーの平等」や「LGBTの人権」などのトピックに積極的に取り組んでいるアメリカ社会だが、1970年代や1980年代の頃は日本人からすれば意外なほど保守的であり、その保守層の中心に位置するキリスト教団体などは、常にロックミュージックのような異質なカルチャーを敵視し批判してきた。

その美貌を惜しみなく露出し、「女性目線」の強烈な歌詞を繰り出すマドンナは、当初から(今も)アメリカの保守層からは激しく非難されたが、そのようなことも含めて「戦う姿勢」が女性ファンの心をつかんだ。

アメリカにおいて、マドンナ以前に、ここまで女性ファンの支持を得られた女性ポップスターはいない。
1970年代の後半には、ブロンディのデボラハリーが、その前にフリートウッドマックのスティーヴィーニックスが、さらにその前には、リンダロンシュタットやカーリーサイモンがいた。しかし、当時の彼女たちの価値は「男性目線」によってつくられたものだ。
あえて厳しい言い方をすれば、「プレイボーイ」誌の表紙を飾るようなタイプの女性がロックを歌う、といった演出をされていた1970年代の女性スターは1980年代に通用しなくなっていたのだ。

そして、1970年代のような「男性目線」の女性ポップのビジネスとは違った目線で、女性に圧倒的に支持される価値観をつくりだしたのが1980年代のマドンナだったのだ。

一方で、「男性目線」とは違った位置から新しいポピュラー音楽を創造していたのがシンディローパーだ。

シンディローパーの代表曲である「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」がブレークしたのはマドンナの「ライクアバージン」の少し前だった。そして、冒頭の言葉にあるように、シンディローパーは完全にマドンナとは違ったタイプだと自分を認識していた。

シンディローパーは下積み時代にニューヨークの日本食レストランでウェイトレスとして働いていた。
そこにあったのは、その日本食レストランの日本人オーナー(女性)が音楽をつくるアメリカのミュージシャンを応援したい気持ちだ。

その後シンディが根っからの日本好きであることは、日本でのシンディのテレビ出演などによって証明されている。

マドンナが当時の女性の主張の先端的なところを突き女性目線の音楽を送り出し、一方で、シンディローパーが、アメリカの大多数のファミリーが安心して聴ける音楽を生み出していたのが1980年代の前半だった。
そして、その後のブリトニースピアーズやクリスティーナアギレラやテイラースウィフトやレディガガなどに続き、女性による女性のポップミュージックが世界に拡がっていった。

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