1977年、親日家のデヴィッドボウイが京都の苔の寺を楽曲にして世界に知らしめた

1977年、親日家のデヴィッドボウイが京都の苔の寺を楽曲にして世界に知らしめた

”ピカソは言ったんだ。『盗んだ物は重要ではない。それをどう使うかが重要だ』”

デヴィッドボウイ

世界中が悲しみに包まれ、惜しまれながら2016年に他界したデヴィッドボウイは、大物ロックアーティストの中で屈指の親日家として知られる。

7回もの日本ツアーを行い、たびたび日本に来て、特にお気に入りだった京都を訪れ、創業300年以上続く「俵屋旅館」を定宿として、老舗蕎麦屋「晦庵(みそかあん) 河道屋」の2階の「指定席」で「天ざる蕎麦」を食べ、京都の寺や市場などを回った。

最も有名な写真は、友人でもある写真家・鋤田正義 氏による電車の前で立っている写真で、これはもともと阪急電鉄が公式にツイッターに投稿したものだ。

ボウイは、1960年代に舞踊家リンゼイケンプのダンス・スクールに通っていた頃から日本文化に興味を持ち、舞踊家ケンプが、生徒のボウイに武満徹を聴かせ、日本の伝統芸能、能や歌舞伎を研究した。1970年代には、日本を代表する服飾デザイナー、故・山本寛斎氏と出会い、1973年のジギースターダストや1976年のアラジンセインの衣装は寛斎によってデザインされた。また、ステージでは、歌舞伎の「早替わり」をパフォーマンスに取り入れ、日本の袴にインスパイアされた衣装や、着物にインスパイアされた衣装を好んで羽織り、曲の合間などに早替わりして観客を魅了したのだ。
冒頭に引用したように「どう使うかが重要だ」という考えのもとで、日本文化にインスパイアされ、自身のステージパフォーマンスで使いこなしたのがデヴィッドボウイだ。

もちろん大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」への出演を記憶している人も多いだろう。北野武氏と坂本龍一氏との共演作品でもある。

宝酒造のCMへの出演、ノエビア化粧品のCMでの楽曲の使用などもあり、大ヒット曲の「レッツダンス」とともに、1980年代に日本で最も顔と名前が知れ渡ったロックスターだった。

そんなデヴィッドボウイが1977年にリリースしたアルバムが「英雄夢語り Heroes」だ。ブライアンイーノとのコラボレーションによってドイツのベルリンで録音・制作され、ジャケットには鋤田正義 氏の写真が使われている。ブライアンイーノの他にもキングクリムゾンのロバートフリップや、ボウイやTレックスのプロデュースで知られるトニーヴィスコンティなどが参加している。

タイトル曲の「Heroes」は「NMEが選ぶ、デヴィッド・ボウイの究極の名曲」で1位に選ばれている。

そして、このアルバムの中で、最も異色の曲と言っていいのが、9曲めのインストゥルメンタル曲「Moss Garden(苔の寺)」だ。明らかにブライアンイーノによるものとわかるシンセサイザーに重ねて、ボウイが日本のファンクラブの会員からプレゼントされたオモチャの琴を弾いて、和テイストのアンビエントミュージックに仕上がっている。

「苔の寺」とは京都の正伝寺のことだ。海外ミュージシャンが日本をイメージした曲というものは、しばしば大きな勘違いをすることも多いが(例えば、日本風にするつもりで中国のドラを鳴らすなど)、ボウイのこの曲に関しては、的確に日本の寺院の情景と雰囲気をとらえていると言えるのではないだろうか。

デヴィッドボウイは、その華麗なルックスや、派手なパフォーマンスや、衣装などに目がとらわれ「派手なロックスター」といった印象を持たれがちだが、音楽に対しては実にストイックで先鋭的なものを追及する人だったのだ。そして、その長いキャリアの中で変化していく音楽の中には、日本文化への深い理解からくる独特のエッセンスが入っていたことを、私たち日本人は忘れてはならない。

また、決してマジョリティとはいえないが、デヴィッドボウイの他にも、妻が日本人で軽井沢でよく休日を過ごし靖国参拝までしていたジョンレノンや、三島由紀夫を愛読し空手6段を持つストラングラーズのジャンジャックバーネルのような親日のロックスターがいること、そして彼らがリスペクトした日本の文化を私たち日本人は誇るべきである。

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