1975年、パンク前夜に咲いた花ベイシティローラーズは第二のクリフリチャードだった

1975年、パンク前夜に咲いた花ベイシティローラーズは第二のクリフリチャードだった

2021年4月20日、1970年代中盤に「タータン・ハリケーン」と呼ばれる社会現象を世界で巻き起こし、特に10代の女性に爆発的な人気があったベイシティローラーズのボーカリスト、レスリーマッコーエンが他界した。

スコットランドのエディンバラで結成されたポップロックバンドのベイシティローラーズは、ボーカリストが初代のノビークラークからレスリーマッコーエンに交代した後に大きくブレークし全盛期を迎えた。フォーシーズンズのカヴァー「バイ・バイ・ベイビー」が全英で6週連続№1となり、日本でもラジオの洋楽チャートの上位を席巻した。

続く「サタデイ・ナイト」は念願の全米№1になり、日本でも、街中にタータンチェックを身にまとい、当時の音楽雑誌を見ながら、黄色い声で推しメンバーの名前を叫ぶ10代の少女たちが溢れかえった。

さらに続く「二人だけのデート」は、イギリスの代表的な女性ポップシンガー、ダスティスプリングフィールドのカバーとしてヒットし、日本ではTBSの朝の番組「はなまるマーケット」のオープニングテーマ曲として使われ、幅広い世代に愛された曲だ。

1976年の来日当時の映像もYouTubeで見ることができる。当時の彼らが、いかに爆発的な人気があって、ファンから熱狂的に愛されていたかがよくわかる映像だ。彼らも、熱烈に歓迎する日本のファンに好意的であることもよくわかる。レスリーマッコーエンは1983年に日本人の月岡啓子さん(通称ペコ)と結婚した。

そして、この来日時の映像を見ると、彼らが「第二のビートルズ」といわれたのも納得できる。おびただしい数の少女たちが待っている中、彼らが飛行機から降り立つと、空港が黄色い声の叫びに包まれてしまうのだ。こんな外国人のスターは過去にビートルズくらいしかいなかっただろう。

しかし一方で、いわゆる当時の「音楽通」と称する人たちは「ベイシティローラーズとビートルズは全然違う」と言って「第二のビートルズ」というキャッチフレーズに対して否定的だった。なぜなら、この記事で紹介した彼らの代表的な3曲を始めとして、多くの楽曲は自分たちで作った曲でないからだ。

ビートルズの最大の価値は、ひとつのバンドにポピュラー音楽史上屈指の作曲家兼シンガーのジョンレノンとポールマッカートニーがいて、自分たちで曲を作り歌うことだ。しかも、第三の作曲家兼シンガーのジョージハリスンも、並み居る作曲家の上をいく名曲を多数残す才能の持ち主だ。そして、従来のレコード会社が契約するプロの作曲家・作詞家・演奏家と、歌とパフォーマンスをするアーティストという分業方式の音楽制作を破壊した。

ならば「第二の~」という言い方をするのであれば、より適切なのはビートルズ登場前にイギリスのポピュラー音楽界に君臨し「永遠のポッププリンス」と呼ばれたクリフリチャードであろう。このハンサムなルックスと抜群の歌唱力こそ、レスリーマッコーエンが比較されるべきものだ。そして、奇しくもクリフリチャードとレスリーマッコーエンは同じ18歳でデビューしている。

クリフリチャードは本当に息の長いシンガーで、2007年には66歳にして来日し、パシフィコ横浜国立大ホールでライブを開催するほど世界中にファンがいるスターだ。しかし、ビートルズやローリングストーンズのような、自分たちで楽曲を作るタイプのロックバンドが作り出すムーブメントの中で、主役の座を守ることはできなかった。とはいうものの、どんな時代においても、リトルリチャードや、レスリーマッコーエンとベイシティローラーズのように女性の心をときめかせる「グッドルッキング」なスターは必要なのだ。

ベイシティローラーズの登場した時代背景を考えると、1960年代から1970年代のイギリス社会は「経済停滞」によって、他国から「英国病(えいこくびょう、英語: British disease)」と揶揄され、暗いムードが漂っていた。一方で、1970年代前半のイギリスのロック界は停滞知らずの高度成長期で、レッドツェッペリン、ディープパープルなどのハードロックのバンド、イエス、ピンクフロイド、キングクリムゾン、ジェネシスなどのプログレッシブロックのバンド、グラムロックと呼ばれる華やかなロックの流れから出てきたデヴィッドボウイ、そして分類不要の華やかなロックスターとしてロッドスチュアートやクイーンなどによって、多様化が進んでいた。もちろん超大御所のローリングストーンズも健在。しかし、ポピュラー音楽業界のムードとしては、卓越した演奏能力と芸術性を持つ高度で複雑なロックが耳に新しく、世界的な人気を博していた。

そんなときに、キラキラと輝く「グッドルッキング」なビジュアルで、シンプルで明るいポップな楽曲を歌い演奏するバンドが現れた。それがベイシティローラーズだった。高度化・複雑化するロックに向かわなかった少女たちがこぞって彼らに飛びついたのだ。

しかし、クリフリチャードが、自作自演できるビートルズやローリングストーンズの波に飲まれてしまったように、ベイシティローラーズは、1976年にシングル「アナーキー・イン・ザ・U.K.」 をリリースしたセックスピストルズ、1977年にアルバム「白い暴動」をリリースしたクラッシュ、同じく1977年にアルバム「夜獣の館」をリリースしたストラングラーズなどに代表される「パンク」と「ニューウェーブ」の波に飲みこまれて主役の座を失ってしまう。

1975年、複雑なロックから、よりシンプルな「パンク」「ニューウェーブ」へと折り返す流れの直前に咲いた花がベイシティローラーズだったのだ。

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