1978年、スティングによって「ロックとレゲエの融合」が初めて成功した

1978年、スティングによって「ロックとレゲエの融合」が初めて成功した

「ロンドン北部でクールなジャズをやるバンドを見たんだ。彼らが演奏していたジャズそのものは特にすごいとは思わなかったんだけど、そのバンドのベーシストが素晴らしかったんだ。そのベーシストは歌うこともできたんだけど、何よりも天からの神々しい一筋の光が彼の表情を照らしているのがわかったんだ。その時、“彼こそがロックスターだ”と思った。」
スチュワートコープランド(ポリスのドラマー)

これが後に押しも押されぬロックスターとなったスティングとスチュワートコープランドの歴史的な出会いだ。そのときは1976年末。イギリスはパンクロックの嵐のまっただ中だった。その後、スチュワートの度重なる説得に、当時小学校の教師だったスティングが応じて、「ポリス」が結成された。

元アニマルズのギタリスト、アンディサマーズも参加したロックトリオ「ポリス」の滑り出しは決して順調なものではなかった。なぜなら、この当時のロンドンはパンクとニューウェーブの台頭によって、ポリスのように演奏能力があるバンドにとって最悪の時期だったからだ。この当時のロンドンでは、レッドツェッペリンのような実力のあるバンドは「オールドウェーブ」というレッテルを貼られ、パンク好きな若者たちからは敬遠され、むしろヘタに演奏しないと受け入れられないという異常な状況だったのだ。

先が見えない。レコードが売れるといった話どころか、お金が全然ない。
ポリスはパンクバンドとはいえないし、僕がやっていることは正気の沙汰ではない。
昔ながらの友人たちの多くが、僕がおかしくなったと思っている。僕は孤独を感じはじめていた。
でも、最初にスティングとスチュワートに覚えた直感を信じていた。
僕らの音楽ができるという直感。
アンディサマーズ(ポリスのギタリスト)

ポリスの初めてのパリのライブは、ついに観客が集まらずキャンセルになった。

だが、そのとき、パリの歓楽街の女性にヒントを得てスティングが作った楽曲が「ロクサーヌ」だ。

この「ロクサーヌ」は今でもポリスの代表曲といっていい曲だが、その特徴は「レゲエ風」のアレンジを取り入れたことだろう。これがレゲエか?というと、ちょっと違うのだが、小節の最初にドラムのキックを入れないスチュワートのドラムは明らかにレゲエにインスパイアされたものだ。

そして、このデビューアルバムからは、もう一曲「キャントスタンドルージングユー」という代表曲があるが、こちらのほうがよりレゲエ的だ。

しかし、両曲ともにサビは当時のパンク的なロックに変化する。これが当時、斬新だったのだ。
一曲の中でレゲエ的な冒頭部分から、軽快なテンポのパンク風ロックに変化する。
誰も聴いたことがない新しいタイプのロックミュージックが生みだされた。

ではなぜレゲエだったのか?
答えは簡単だ。1977年~1978年の頃は、あのレゲエのカリスマ、ボブマーリーの最盛期だった。タイム誌が「20世紀最高の音楽アルバム (the best music album of the 20th century)」に選んだボブマーリーの傑作アルバム「エクソダス Exodus」が発売されたのが1977年だ。

レゲエは、もともとアメリカのラジオ放送局で流れてきた「R&B」を聴いていたジャマイカ人が自分たちなりに歌い演奏したことで生まれた音楽だ。
250年以上もイギリスの植民地だったジャマイカが生み出した音楽であるレゲエは、1970年代にイギリスの音楽を変えた。イギリス系のアーティストによる有名なレゲエカバーとしては、エリッククラプトンの「アイショットザシェリフ」がある。

この曲はエリッククラプトン唯一の全米ナンバーワンを獲得した曲だ。

レゲエの影響力はすさまじく、アメリカでは、1980年代にヒップホップとラップを生み出すことになる。つまりジャマイカの音楽レゲエは、アメリカとイギリス以外の世界からでも、アメリカとイギリスを制覇できることを示してくれたのだ。日本でもレゲエは確実に音楽界に影響を与え、一例をあげれば、1980年代に活躍していた「ミュートビート」というレゲエバンドのドラマー屋敷豪太は一世を風靡したソウル・II・ソウルに参加したり、イギリスのバンド、シンプリーレッドのドラマーとして活躍した。

スティングとポリスが偉大だったのは、レゲエをカバーするだけでなく当時の時代の風潮に流されず、「取り込む」ことで新しいロックミュージックを創造したことだった。

ポリス以降の、スティングの活躍と業績については、この記事では書ききれない。グラミー賞など数々の賞を受賞し、ポリスとソロ活動のアルバムの売り上げは一億枚を超えている。
そして1970年代後半に生まれてきた無数のパンク、ニューウェーブのほとんどのバンドが今では残ってないが、スティングは時代を超えたスーパースターとなった。当時もてはやされたパンクやニューウェーブでは、音楽の実力が伴わない未熟なミュージシャンが多かった。スティングが成功したのはミュージシャンとしての実力があったことと、当時のロンドンのパンクと世界を席巻していたレゲエを見事にバランスさせたことを忘れてはいけないだろう。

そして、スティングがロック界屈指のラーメン好きであることも忘れてはいけない。

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