1977年、ビートルズ好きピアノマンのビリージョエルがフュージョンを普及させた

1977年、ビートルズ好きピアノマンのビリージョエルがフュージョンを普及させた

「僕が、なぜ急にポールマッカートニーの話を持ち出したかというと、僕がソングライターとして一番影響を受けたのはポールだからだ。僕は70年代のポールマッカートニーになりたかったんだ。」
ビリージョエル

ヒトラーによる弾圧から逃れるためにアメリカに渡ったユダヤ系ドイツ移民の父のもと、ニューヨークで生まれ育ったビリージョエルは「僕はコロンビア大学に行くんじゃなくてコロムビア・レコードへ行くんだから高卒の資格なんか必要ない」と言って高校を中退し、実際にコロムビア・レコードと契約した。彼が最も尊敬して目指していたのはビートルズのポールマッカートニーだった。

そのビリージョエルが初めてヒットチャートのベスト10にランクインした大ヒット曲が、1977年に発売された5枚目のアルバム「ストレンジャー」に収録された「素顔のままで(Just the Way You Are)」だ。グラミー賞で最優秀楽曲賞と最優秀レコード賞も受賞した代表曲で、彼をスーパースターにした曲でもある。しかし、「素顔のままで」のアレンジは、エレクトリックピアノとサックスをフィーチャーし、当時に流行った言葉で「ソフト&メロー」なもの。大好きなビートルズとはかけ離れた、ある意味、もっともビリージョエルらしくない曲だとも言える。

では、このような曲調になったのはなぜか。それはポピュラー音楽史に残る名プロデューサー、フィルラモーンがそのようにしたからだ。

フィルラモーンの名前は意外に日本では知られてないが、その功績は偉大すぎるもので、エンジニアとしてスタン・ゲッツとジョアン・ジルベルトの”イパネマの娘”、ギルバートオサリバン、アレサフランクリン、ボブディランなどを、またプロデューサーとしてポールサイモン、ポールマッカートニー、ビリージョエルなどを手がけた。ちなみに松田聖子と神田正輝が結婚式の当日にリリースされたSEIKO名義のシングル「Dancing Shoes」はフィルラモーンがプロデュースし、ニューヨークで録音されたものだ。

ビリージョエルのアルバム「ストレンジャー」については、ビートルズのプロデューサー、ジョージマーチンが候補になっていたのだが、バンドではなくスタジオミュージシャンが演奏することを主張して話がまとまらず、フィルラモーンが手がけることになった。

「素顔のままで」はとても苦労した。私はいい曲だと思ったんだが、ビリー本人がメローすぎるからと嫌っていたんだ。私が気に入ったと言うとドラマーはスティックを投げつけんばかりに睨んだ。彼らはまるでウェディングバンドがやるみたいな甘くて軟弱な曲だと思っていたんだ。
フィルラモーン

バンド演奏ではテナーサックスであった間奏も、名ジャズプレイヤーのフィルウッズによるアルトサックスに変えられた。フィルラモーンは本来のビリージョエルの音楽性にジャズを融合させようとしたのだ。フィルウッズとフィルラモーンはジュリアード音楽院の同級生でもある。キーボードはエレクトリックピアノ(フェンダーローズ)にストーン・フェイザーというエフェクトをかけたもの。この時点で、そのサウンドは当時流行していた「フュージョン」のスタイルになる。さらにビリーの声を多重録音したコーラスによって、フィルラモーンいわく「この世のものとは思えないサウンド」が完成した。このコーラスの多重録音はイギリスのロックバンド、10ccの「アイム・ノット・イン・ラブ」にインスパイアされたものだ。

このようにして完成した「素顔のままで」は、ポピュラー音楽史上、最も有名で成功したフュージョンテイストの楽曲ではないだろうか。この「素顔のままで」が収録されたアルバム「ストレンジャー」の販売枚数は1000万枚を超え、エレクトリックピアノやサックスをフィーチャーしたフュージョンサウンドがさまざまなアーティストに取り入れられ、アメリカだけでなく日本でも急速に普及した。
(注:後にこのようなソフトでメローなロックに対してよく用いられる「AOR(アダルトオリエンテッドロック)」という言葉は1977年の時点では定着していなかったため、この時点では「フュージョンサウンド」と呼ぶしかない。)

興味深いことに、ビリージョエルが気に入らなかったにも関わらず、ビリーが憧れるポールマッカートニーが「他の人が書いた曲で自分(ポール)が書けばよかったなと思うものはあるか?」と問われた際にいつも「素顔のままで」をあげるほど気に入っていたことは有名だ。

一方で、ビリージョエルが目指したポールマッカートニーは、この動画のようなロックンローラースタイルのポールなのかもしれない。

もともと「素顔のままで」はビリージョエルの妻でマネージャーを務めていたエリザベスに捧げたもので、著作権も含めてプレゼントしてしまうほど気に入らなかったようだが、売れ始めて著作権を買い戻した。妻に曲を捧げる、というところは美談に聞こえるが、実はその後、この妻エリザベスとビリージョエルは金銭トラブルで泥沼の展開になってしまう。ビリージョエルは、すぐに人を信じて疑わない人柄であるため、人生において何度も騙されていたのだ。それでもビリージョエルは人を信じ続け「オネスティ」のような名曲を「誠実に」作り続けている。

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