1972年、スティーヴィーワンダーとジェフベックがロックとソウルを繋いだ

1972年、スティーヴィーワンダーとジェフベックがロックとソウルを繋いだ

俺はスティーヴィーワンダーの作品が好きで「何かいっしょにやりたい」と言ってたら、彼は受け入れようとしてくれた。もともとは、彼が私に曲を書き、その見返りとして私が彼のアルバムで演奏するというもので、そこで「迷信(Superstition」が出てきたんだ。
ジェフベック

1961年に11歳でモータウンと契約し、12歳でデビューし、13歳で全米ヒットチャート1位を獲得した天才少年スティーヴィーワンダーは、70年代に入って自作のプロデュース権を獲得し、モータウンの音楽制作とは違う方式、すなわち、ほとんどの楽器を自分で演奏してアルバムを作るスタイルに移行し、新しい音楽を模索していた。

一方で、イギリスのブルースバンド「ヤードバーズ」でスーパーギタリストとしての地位と名声を確かなものにしていたジェフベックは、1972年までに自身名義で2つのバンドを結成・解散していた。ちなみに最初のバンドにはボーカルとしてロッドスチュワートが在籍し、2番目のバンドにはドラムでコージーパウエルが在籍していた。その2番目のグループの解散直前の1972年5月に、ニューヨークでジェフベックグループとスティーヴィーワンダーのセッションが実現した。

一説によると、そのセッションで、ランチから帰って来たスティーヴィーが、遊びで叩いていたジェフベックのドラムに合わせて、クラビネットであの音楽史に残る「迷信」のリフを思いついたというが、定かではない。しかし間違いなく「迷信」は、このセッションから生み出された曲で、ジェフベックとスティーヴィーワンダーの出会いがなければ、この名曲が世に存在しなかった可能性が高い。

その後「迷信」のデモを作り、モータウンに聴かせたところ、もともとジェフベックのアルバム参加へのお礼の曲だったはずなのに「渡すな」という判断が下ってしまう。

そして「迷信」は、スティーヴィーワンダーのアルバム『トーキング・ブック』に収録され、多くの国でシングル・カットされて、全米ヒットチャートで1位を獲得し、彼の代表曲の1つになった。
この曲はドラムで始まるが、スティーヴィーワンダー自身が演奏している。

一方のジェフベックは、スティーヴィーワンダーのアルバムやシングルより、先行して第三のバンド「ベック・ボガード&アピス(BB&A)」で「迷信」を演奏していた。BB&Aは、元バニラファッジのティムボガード(ベース)とカーマインアピス(ドラム)とジェフベックの3人が組み「最強のロックトリオ」と呼ばれたスーパーグループだ。
このグループはそのずば抜けた演奏力によって音楽的な評価は高かったのだが、メンバー間の行き違いで、約2年ほどの短命で終わってしまう。

その後、スティーヴィーワンダーはジェフベックのヒットアルバム「ブロウバイブロウ」で有名曲となった「哀しみの恋人達」を提供する。「迷信」のかわりに、スティーヴィーのアルバムへの参加に対するジェフベックへのお礼としての楽曲提供を実現したのだ。

ジェフベックとスティーヴィーワンダーの交流はその後も続き、2009年の共演は動画で公開されている。1970年ごろには、ロックミュージックとソウル(ブラック)ミュージックの間には相当な距離感があり、特に大物どうしの共演は珍しかったのだ。まだまだ人種問題が残っていた当時の世界においてポピュラー音楽が人種の壁を越えられることを示した意義は大きい。

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